「ママ、もう剣道行きたくない…」
日曜日の朝、玄関で防具袋を前に座り込んだ息子の目には、涙が浮かんでいました。
あれは、息子が小学2年生の秋のこと。地域のスポーツ少年団で剣道を始めて、もうすぐ1年が経とうとしていました。最初は「かっこいい!」と目を輝かせていた息子。でも、いつからか練習前になると腹痛を訴えるようになり、朝起きられなくなり、そしてついにこの日、玄関で動けなくなったのです。
「お母さんも、もう限界かもしれない…」
正直に言えば、私自身も苦しんでいました。毎週末の送迎、月に一度の当番、保護者会の人間関係、そして何より—「ここで辞めさせたら、この子は逃げ癖がつくんじゃないか」という不安。
「続けることが美徳」という呪縛
「せっかく始めたんだから」 「もう少し頑張ってみたら?」 「辞め癖がつくよ」
周囲の大人たちは、善意でそう言いました。私も最初はそう思っていました。
でも、息子の表情は日に日に曇っていきました。
月曜日の朝、「今日は学校休みたい」と言うようになりました。夕食の量が減りました。お風呂で一人になると、小さな声で泣いていることに気づきました。
「こんなはずじゃなかった…」
剣道を通じて、忍耐力や礼儀を学んでほしかった。仲間との絆を育んでほしかった。それなのに、息子が失っていったのは「子供らしい笑顔」でした。

ある母親の告白—私も「一般的な解決策」を試した
インターネットで「スポ少 辞めたい」と検索すると、たくさんのアドバイスが出てきました。
「まずは指導者に相談してみましょう」 「一時的に休会してみては?」 「子供の本音をじっくり聞いてあげて」
私は、すべて試しました。
指導者の先生に相談したとき、「最近の子はすぐ弱音を吐く」と言われました。一週間だけ休ませたとき、息子は久しぶりに友達と公園で遊び、本当に楽しそうでした。でも、次の日曜日が近づくと、また顔が曇りました。
息子に何度も「どうしたいの?」と聞きました。でも、息子は言葉に詰まるだけ。「ママが悲しむと思って…」「みんなに迷惑かけたくない…」そんな言葉が漏れました。
小学2年生の子供が、こんなに周囲を気にして、自分を押し殺さなければいけないなんて。
その夜、私は一人で泣きました。「私が始めさせたせいで」「私の判断が間違っていたのか」「母親失格なのかもしれない」—そんな思いがグルグルと頭の中を回りました。
「辞める」ことを選べなかった本当の理由
正直に言います。息子が「辞めたい」と言ったとき、私の頭をよぎったのは、
- 防具や道着に使ったお金—3万円以上かけて揃えたのに
- 周囲の目—「あそこの家の子、もう辞めたんだって」と噂されるんじゃないか
- 他の保護者への申し訳なさ—当番の穴を開けることになる
- 夫の反対—「すぐ諦める癖がつく」と言われそう
- 息子の将来—「最後までやり遂げる力」が育たないんじゃないか
息子のことを考えているつもりで、実は私自身が「辞めさせられない」理由に縛られていたのです。
そして、何より恐れていたのは—
「私の選択が間違いだったと認めること」
それは、「母親としての私が間違っていた」と認めることと同じように感じられました。
転機—小児科医の先生が教えてくれたこと
息子の腹痛が続いたので、念のため小児科を受診しました。
身体的には問題なし。でも、先生は息子に優しく聞きました。
「何か、イヤなことある?」
息子は小さくうなずきました。
診察後、先生は私だけを呼んで、こう言いました。
「お母さん、この子は今、心のSOSを出しています。子供にとって『続ける力』も大切ですが、『自分で選ぶ力』はもっと大切です。大人の価値観で、子供の心を壊してしまってはいけません」
その言葉が、私の中で何かが崩れる音がしました。
「続けさせることが、本当に息子のためなのか?」 「私は、誰のために息子を剣道に通わせているのか?」
「辞める」を選んだ日
その週末、私は夫と何時間も話し合いました。
夫も最初は「もう少し頑張らせるべき」と言いました。でも、息子の笑顔が消えていったこの半年を、二人で振り返りました。
最後に夫が言いました。
「俺たちは、息子を立派な剣士に育てたいのか? それとも、幸せな子供に育てたいのか?」
月曜日、私は息子を学校に送った後、スポ少の代表に連絡しました。
「息子を退団させてください」
電話を切った後、涙が止まりませんでした。それは、後悔の涙ではありませんでした。
ようやく、息子を守れる—そんな安堵の涙でした。
辞めた後、息子に起きた変化
退団を伝えた日の夕方、息子に言いました。
「剣道、辞めることにしたよ」
息子は、ぽかんとした顔で私を見ました。それから、大粒の涙をポロポロとこぼしました。
「ごめんなさい、ごめんなさい…ママ、ごめんね…」
私は息子をギュッと抱きしめました。
「ごめんなさいじゃないよ。よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
その夜、息子は久しぶりにたくさん食べました。
それから—
3日後、息子は朝、自分から起きてきました。 1週間後、学校から帰ってきた息子は笑顔で「今日ね!」と話し始めました。 1ヶ月後、「サッカーやってみたい」と自分から言いました。
息子は、「自分で選ぶ」ことを学びました。そして今、地域のサッカークラブで楽しそうにボールを追いかけています。
剣道を辞めたことで、息子は「逃げ癖」がついたでしょうか?
いいえ。息子が学んだのは、**「自分に合わないことを見極める力」と「新しい挑戦に踏み出す勇気」**でした。
あなたに伝えたい、5つの真実
もし、今この記事を読んでいるあなたが、「辞めさせるべきか」と悩んでいるなら、私からお伝えしたいことがあります。
1. 「辞める=逃げ」ではない
合わない靴を無理に履き続ける必要はありません。足を痛めるだけです。
子供の人生で大切なのは、「一つのことを最後までやり遂げること」ではなく、**「自分に合うものを見つけ、そこで輝くこと」**です。
2. 親の「投資」を理由にしてはいけない
防具代、月謝、送迎にかけた時間…確かに、無駄になったように感じるかもしれません。
でも、それは経済学で言う**「サンクコスト(埋没費用)」**です。もう取り戻せないコストのために、子供の心の健康まで犠牲にする必要はありません。
3. 周囲の目より、子供の心
「あそこの家の子、辞めたんだって」—そう言われることを恐れていませんか?
でも、子供の笑顔より大切な世間体なんて、ありません。
10年後、あなたが覚えているのは周囲の評価ではなく、子供と過ごした時間です。
4. 「やり抜く力」は別の場所でも育つ
剣道を辞めたからといって、子供が何も学ばないわけではありません。
私の息子は、サッカーでは「試合に出たい」と自主練を始めました。自分で選んだことには、子供は驚くほど熱中します。
5. 辞めたことを後悔する子は少ない
私は、スポ少を辞めた後の親子にインタビューしたことがあります(私の周辺だけですが)。
「後悔している」と答えた子供は、ほとんどいませんでした。むしろ、「あのとき辞めて良かった」「新しいことに挑戦できた」という声ばかりでした。
最後に—子供の笑顔を取り戻すために
今、この文章を読んでいるあなたは、きっと真面目で、責任感の強い親御さんなのだと思います。
「子供のために」と思って始めたこと。 「子供の成長のために」と続けてきたこと。
それが、いつの間にか子供を苦しめていたら—それは、方向転換のサインかもしれません。
辞めることは、終わりじゃない。新しい始まりです。
子供の人生は、これから何十年も続きます。今、無理をさせて心を壊すより、今、子供の声に耳を傾けて、一緒に次の道を探しませんか?
私が息子に言った言葉を、あなたにも贈ります。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」
あなたと、あなたのお子さんに、笑顔が戻りますように。
【この記事を読んだ方へ】
もし、「うちの子もこの状況に近い」と感じたら、まずは子供とゆっくり話す時間を作ってあげてください。「辞めたい理由」を否定せず、ただ聞いてあげること。それだけで、子供は救われます。
そして、もし辞める決断をしたなら—それは決して「逃げ」ではありません。あなたは、子供の心の声に耳を傾けた、勇気ある親です。
人生には、「続けるべきこと」と「手放すべきこと」があります。その見極めこそが、親としての大切な役割なのかもしれません。
